康有為、梁啓超と神戸須磨関係地図

出典:鴻山俊雄「思い出の記・須磨回想(一)――康有為、梁啓超両氏滞在の頃」(神戸『日華月報』第229号、1985年11月)

 この地図は、上掲「神戸華僑関係地図」の右下「須磨区・垂水区」の北東部分(右上端)に該当する。
 この地図の中央に康有為の寓居=「康寓」が見える。また右下に梁啓超の寓居の一つ=「麦邸」(神戸華商 麦少彭の別荘)が見える。
 康有為は1911年6月から13年11月まで神戸に滞在。初め、麦少彭の斡旋で「麦邸」の隣に居を構え、のち「康寓」=「長懶園」(現 須磨区千守町1丁目)に移った。
 梁啓超は1906年12月から12年9月まで神戸に滞在。「麦邸」=「怡和別荘」(当時 東須磨村字六軒家)を「雙濤園」と命名した。梁啓超の長男 思成は神戸華僑同文学校に、次男 思永は私立の須磨浦小学校に通った。